とれいん8月号西武101N・301系特集 |
購入日夜には旅行に出たため、まだじっくり読んでいませんが、何箇所か気になった、というより誤っている点があったので、書いてみます。
(1)P12及びP31 秩父鉄道乗り入れ対策について・・・
両者の記事について下記のような編成に固定すると書かれている。
227F+229F
231F+233F
235F+237F
239F+241F
しかしこれは誤りである。
当初秩父鉄道乗り入れは2往復であった。
(平日)朝下り夕上り 急行 池袋~長瀞,野上・三峰口 101系
(平日)夕下り朝上り 各停 飯能~長瀞,野上・三峰口 4000系
(土休日)朝下り夕上り 快速急行 池袋~長瀞,野上・三峰口 4000系
(土休日)朝下り 快速急行 池袋→三峰口(池袋寄り4両は西武秩父止まり) 101系
(土休日)朝下り 快速急行 池袋→長瀞,野上・西武秩父 101系
(土休日)夕上り 快速急行 池袋←長瀞,野上・三峰口 101系
上記のように、101系は平日・土休日とも秩父鉄道へは長瀞方面、三峰口方面とも1往復ずつ入線していました。しかし、土休日は野上(後に寄居)行きと三峰口行きが別編成で仕立てられているものの、帰りは1本の列車でまとめられているため、組み合わせが変わります。よって、組み合わせは固定されることはなく、土休日ダイヤのたびに入れ替わっていました。
1992年の改正で4000系2次車を4編成製作し、また乗り入れを3本に増強したため、いずれの列車も池袋~長瀞,野上・三峰口を4000系で運行されるようになり、この組み合わせ変更は終了しました。(以降、検査時に単独運用される以外、組み合わせがばらされることはなかったと思われます)。
239F+241F復元についても、記事を読むと、1992年に秩父鉄道のATS使用開始と読めますが、どちらかと言うと、上記のように4000系増備で乗り入れる101系が最大1編成となったため、秩父鉄道ATSを取り付けなかったというのが大きいかと思われます。復元については山下さんの記事が正確であり、当初は外見上、連結器や号車シールあたりが復元され、パンタグラフはそのままでした。
なお、現者については乗り入れ運用離脱後数ヶ月は復元せずそのまま使用していたかと思います(正確な記憶なし)
(2)方向幕について
黒幕化については、前の記事だと、塗装変更と同じ頃としか書かれていないが、これはかなりaboutで不正確。山下さんの記事の記述が妥当である。97年の夏頃に一斉に交換されており、塗装変更と直接関係ない。なお、山下さんの記事で「視認性向上」と理由が書いてあるが、何故このタイミングかと言う点については98年3月改正の「区間準急」に対応するためである。この点で言っても、前の記事ではちょっと不正確かと思われます。
なお、上記秩父鉄道乗り入れ改造のところでは触れられていないが、乗り入れ車について幕交換というか幕足しも行われている点も忘れてはならないと思う。当初は原型の40幕の前に7コマ追加(野上乗り入れ。1~7を追加し、原型の1~40コマ→8~47にずらした)。その後乗り入れ区間の寄居延長に伴い、さらに前に7コマ追加(1~47コマ→8~54にずらした。原型の1コマ目は15となっている)となっている。また、この交換は平日の増結の都合、乗り入れない2連の全編成に及んでいることもあわせてここに書いておきたい。
幕については先日ダイヤ改正前に再交換されたが、このたび廃車回送となった283F及び235Fを含めて101N・301系の非ワンマン全編成が原型とおなじ1~40までの40コマ幕に統一され、バリエーションがなくなった。
ところで、クーラーについては101N系でCU72D装備の車両はなかったのでしょうか。初期型の場合、少なくても175Fのうち1両(確か1176)が装備したのを見たことがあります。