連載:ぶどう糖の旅行記録(1-10) |
まぁ、そういうところですから、早く目が覚めました。この日は自宅まで帰るので、多少睡眠不足でも大丈夫だと思っていましたし。すぐ後に後悔するわけですが・・・。
5:05 大湊(1)→5:08 下北(2)
722D 野辺地行 キハ100系(盛ハヘ・2両・[1]キハ100-201)
大湊駅まで戻り、隣の下北駅まで移動。入場のスタンプを押してもらわないのなら、直接バス停から下北迄歩いた方が楽だったかもしれません(駅間のほぼ中央だったみたいですし、ほぼ平坦ですし)
6:24 下北(1)→6:54 大畑(1)
1D 大畑行 下北交通キハ85型(2両・[1]キハ85 1)
1時間ちょっと待ちました。これもこの当時に廃止が噂されていた下北交通に乗るため。結局現在は廃止されてしまいましたね。下北の待合室には、下北がNHKのテレビ小説が舞台となったことから色々ポスターが貼られていました。
始発列車の大畑行は空いていますが、折り返しが通学列車のため2両編成。おかげでこの当時すでに実質最後の国鉄キハ22型だったので(国鉄から引き受ける際譲渡してもらった)したかった車内撮影とかできました。
6:59 大畑(1)→7:29 下北(1)
2D 下北行 下北交通キハ85型(2両・[1]キハ85 1)
5分折り返しでとんぼ返り。通学列車です!学生だらけ。
8:09 下北(2)→9:24 浅虫温泉(3)
3726D~3525D [快速しもきた]大湊発青森行 キハ100系(盛ハヘ・2両・[1]キハ100-201)
先ほど乗ったのと同じ編成でした。
予定では野辺地この列車から下車し、乗車券・特急券購入の上特急はつかり8号で八戸まで移動、その後普通列車に乗り換えと計画していました。しかしここでなんとトラブルが発生。何時の間にか眠りに落ちていて、起きた瞬間に窓から外を見ると、なんと列車が野辺地駅を発車した瞬間、まさにホームから動き出したところでした。しかも列車の進行方向は逆の青森方向。列車は快速で、次の停車駅までに乗る予定だった普通列車とすれ違うことが判明。慌てて計画変更をすることになってしまいました。どこかで特急か新幹線ワープをしなければならない、今先の予定をキャンセルしたり、経路変更も考えたのですが、結局次の特急はつかり10号に乗り元の予定に戻れるようにすることに。とりあえず折り返し駅は浅虫温泉に決定(次の上り列車に乗り換えられる駅で、有人駅という条件を加味)。
9:53 浅虫温泉(1)→10:15 野辺地(2)
3526D [快速しもきた]青森発大湊行 キハ100系(盛ハヘ・1両・[1]キハ100-202)
浅虫温泉駅では焦れる気持ちを抑えつつ、十分この後の予定を確認して、反対向きの大湊行快速に乗車。特急はつかりも浅虫温泉に停車するのですが、すこしでも乗車券・特急券代金を抑えたいので野辺地まで快速で移動しました。
10:18 野辺地(3)→12:02 盛岡(3)
1010M [特急はつかり10号]函館発盛岡行 485系(盛アオ・8両・[1]クハ481-3006)
そして復帰するために特急ワープです。費用はかかりますが、普通列車の少ない所をカバー、また時間短縮のためにもしかたがありませんね。今回は有事?でかなり距離がありますが、普段は極力特急料金がかからないように調整します(そのうち連載にその記録が出てくるかもしれません。)。
普通列車でのんびりする旅が一番好きではありますが、今回の北海道旅行では特急による移動も多く、そういう意味では今回は違和感のない特急移動でした。せっかく高い料金で乗っているからには、くつろいで盛岡までワープしました。この区間は、10数年前は急行八甲田で下り、特急はつかりで上ったので、正直なところ、普通列車で通過したかったですね。しかも、今となっては八戸~盛岡は第3セクターに移管されてしまいましたし(そういう意味ですと電車特急による通過はもうできませんが、一度体験済のことでしたのでやっぱり普通列車で通過したかったと思う)。
12:10 盛岡(5)→13:39 一ノ関(2)
1538M 一ノ関行 701系(盛アオ・2両・[2]クモハ701-1003)
盛岡での乗換えはわずか10分。最初の予定と比べて余裕のない乗換え時間になってしまいました。しかも、昼時で、予定ではここで何か食べようと思っていた(駅そばか弁当購入)と考えていましたが、既に乗換えの列車が到着済で、8分では買えなかった・・・。8分でも買うことは可能ですが、なんとこの列車、まっすぐ乗換えに行っても座れなかったのです。
実際は南下するにつれて段々と短距離客が下車していったことで、途中からは座れましたが、暫くはたって後から過ぎ行く車窓を見ていました。ちなみに前日の701系は仙台色でしたが今回はちゃんと盛岡色(というのでいいのか?)でした。
13:44 一ノ関(1)→14:33 小牛田(3)
536M 小牛田行 701系(仙セン・2両・[1]クハ700-1505)
一ノ関乗換えはさらに短い5分。当然急いで乗換えました。乗換えた相手も701系ということで座席の座りごこちは変わることはありませんでしたが。ロングシートの長旅と言うのはあまり好きではありませんし、弁当とか食べにくいです(なお更混雑していると)。しかし、1時間程度で乗り継いでいくと何故かそれを忘れてしまうような・・・。どちらかと言うと問題なのは、眠い時に寄りかかる場所が少ないことです。角席が少ないですから。
正直、盛岡から小牛田まではあまり覚えていません。確か、仙台から先の予定を確認していたことはありましたが。ただ一つ、途中でEF81に牽引されたD51蒸気機関車とすれ違ったと言うのは覚えています。後で確認したら、蒸気機関車のイベントの送り込み回送だったはず・・・。
14:39 小牛田(2)→15:14 岩切(4)
1564M 白石行 719系(仙セン・4両・[1]クハ718-3)
小牛田で乗換えの列車でしたが、特に車両が何であるか調べていなかった(その1)で、701系と先入観をもっていて、719系だったことに驚きました。仙台までは701系と思っていましたから。第2日目に書いたEEきっぷによる東北旅行のほか、青春18きっぷによる旅行で郡山や福島で仙台の電車に乗る機会は数度ありましたが、715系(元寝台電車583系)か455系(急行型)ばかりでどちらも他地域(北陸・九州)で同種の車両に乗っていて、仙台地区でしか見られない電車というものはこれが初めてだったんですね。4両編成で空いていて、しかも前向きの座席で、楽でした。
ちなみに盛岡で予定した昼食が取れなくなった件ですが、特急乗車代に消えたと思ってこの時点であきらめました。
15:34 岩切(1)→15:40 利府(1)
4443M 利府行 701系(仙センF2-27・2両・[1]クハ700-1027)
岩切で一旦降りたのは利府に行くため。時間調整ということと乗り潰しで穴の開いている場所でいける場所を検討して考えた結果、埋めに入ったというところです。仙台付近だとこれまで東北本線と東北新幹線でスルーしたことしかなくて、色々とあるのですが、北海道旅行なのであまり寄り道しないこと、またこの日が最終日となることからやむを得ないのでした。(もう一つ言うと、青春18きっぷを8月に既に1枚使った状態で、9月に2枚使う旅行が予定されている=そのうちこれも連載になるかと思います、ということで北海道旅行で2枚使用することにしたので帰り1日分なのです)
まぁ、ただ往復するだけなのであまりコメントはないですけども。利府では乗ってきた列車の折り返しを待つだけです。勿論この当時ホームの向かい側奥に止められた交流電機機関車は撮影しました。昔福島の駅構内に留置されているのを見て以来でした。現在は仙台の新幹線の車両基地内に移動されたとか。利府では何度も落書きされたようで、大切に保存して貰いたいものですが・・・。
15:59 利府(1)→16:19 仙台(2)
4438M 仙台行 701系(仙センF2-27・2両・[1]クハ700-1027)
と、16分の折り返しで引きかえしました。ただし、来る時は利府始発でしたが帰りは仙台直通。
仙台に到着し、まずは食料確保。最終日ということで自宅に帰ることができるので、自宅で飯にありつくことができる、となると、昼食をとっていないことから時間的にここで食べ物が欲しいところ。しかも経路を常磐線にした上、終電に間に合うようにするにはいわきまで3時間ほど下車できないことからここで確保しなければならないのです。そしてパンを確保しました。しかし・・・
16:50 仙台(2)→19:45 いわき(3)
254M いわき行 701系(仙セン・4両→2両・[2]クモハ701-102)
特に車両が何であるか調べていなかった(その2)でした。てっきり急行型(455系)か急行型の近郊型改造車(717系)と思っていたら、この列車はなんと701系。
いや~まいったというところです。時間的にも通勤通学のラッシュだったようで、何とか座席は確保できたのですが、空くまではこの座席で食べるわけにもいかず・・・。結局空いてきても食べず原ノ町までは我慢していました。
鉄道雑誌で秋田から山形新幹線延伸で仙台に移ってきた編成があると知っていて、まさにこの701系の編成がそうでした。最初は秋田当時の色(車外)だったようですが、このとき初めて仙台の色に直していたのを知ったような。しかも秋田でワンマン用だったのが仙台ではその設備が撤去されていて、その取り外した後が残っていたと記憶しています(現在は再びワンマン用設備を取り付けたそうで)。
パンを食べるのを原ノ町まで我慢したと言うのは、原ノ町で切り離し作業があるからそれまで待ったということです。ちょうど私の乗っていた車両の後ろが切り離される編成で、切り離された編成はすぐに折り返し仙台行となった(確か先に出発していったんじゃないかと記憶していますが、時刻表で確認しないことには・・・)。原ノ町の手前で日は暮れ、切り離し作業があったのを見届けて、最後の食事?にありつきました。
19:55 いわき(5)→23:37 日暮里(3)
474M 上野行 415系(水カツ・7両・[6]モハ415-711)
今回東京までの最後のルートが常磐線になったのは、常磐線でこれまで乗車した区間が最北で北千住ということ(これはこれで異様かもしれません)で一気に片付けたかったのと乗換え回数が少なくていけると言うことがありました。この当時東北線経由でも1回乗換えで不可能ではないのですが、このあたりの時間だと、都合が良い列車がなかったんじゃなかったかと。もしかしたら大宮止まりの最終列車で、大宮から京浜東北線というルートだったかも(帰り西武池袋線の終電に間に合わず車で目白まで親に頼んで迎えに来て貰うというプランがあった気がします)。
いわきの乗り継ぎは10分でしたが、時間も時間ですし、空いていると思っていたら大間違えでした。空いていることは空いているのですが、マナーが悪い高校生が多かった。編成は7両で、うち3両がセミクロスシートだったのですが、ボックスシートは全て埋まっている。3時間半ロングシートの車両は嫌ですし、クロスシートのある車両を狙いましたが、1つのボックスシート(4人掛け)はどれも2人以下で占領している。ロングシートもやけに占領されていたような。まぁとりあえず高校生だと長距離移動はないだろうと、ロングシートで空きを待ち、狙っていたら案の定数駅でほとんど下車していき、やっとボックスシート確保できました。
夜で特にすることもなく、本を読んだり暗い夜景を見ていたり・・・ということしか覚えていません。最後になって全区間起きていたとは・・・。寝ようと思っても寝付けなかっただけなのですが。主要駅からは短区間の通勤客がボックスの向かい側に座ることはありましたが、終始空いていてリラックスしていました。
そういうわけで事実上この日最後の列車へ乗換えは日暮里にて。
23:43 日暮里(3)→23:54 池袋(6)
2318G 大崎行(山手線内回り) 205系(東ヤテ16・11両・[6]モハ205-47)
池袋までは山手線。当たり前ですけど。北海道にいた時はほとんど曜日間隔はなくなっていましたけれど、冷静にこの日を考えると金曜日。金曜日でなくても混雑していますけど、混んでました。勿論立って池袋まで。もう最後なので、スタミナとか気にしませんし、吊革につかまって10分ほどの移動。
そういうことで9月1日終了・・・ってきっぷの上ではまだ終わらないですけど。一応ラストへ。
第11日 2000年9月2日(土)
0:08(0:17) 池袋(西武5)→0:14(0:23) 練馬(2)
4137 [準急]飯能行 西武9000系(9106F・10両・[10]クハ9006)
記録を見ると最後部車両。大荷物抱えて金曜の飯能行終電の最後部車両に乗るなよ俺・・・。
確かJRが遅れていたので接続待ちで9分遅れで池袋を発車しました。
当然座りたければ各駅停車に池袋から乗ればいいのですけど、これも小竹向原の終電に乗換えたかったのか、故意にこの列車にした記憶があります。でも遅れると判っていればもっと前の少しは空いている車両に移ったのですが、0時8分の段階で発車ベルが鳴り、そんなに待つとは言っていなかったのです。というか12分くらいに扉を閉めたのですが、締まらなくてさらに5分かかったんじゃなかったかと記憶してます。
この列車は上記のように練馬で小竹向原発清瀬行の有楽町線最終列車に接続(6156Fでした)。うって変わって空いている列車に乗換え最寄り駅へ、そして帰宅しました。
次回で、シリーズ最終回です。今回最終日の第11日?も書いてしまったので総括のみですが・・・。